第61話 お盆と終戦その1 あら不思議

いつも、不思議に思いますが。
なんで、お盆と終戦記念日が一致したか
ということです。
奇妙な一致だと思いませんか?
私はそう思います。
でも、本当に戦争を始められた方々
には憤りを覚えますね。たくさんの方が犠牲になって。
下々の方の事を全然考えていないという感じで。
中国人が日本人に対してあまりいい感情を
もてないのも分かるような気がします。
でも、それを今の日本人が聞けばそんな昔のこと
って思うのでしょうね。もう戦争を体験している方
はかなり少ないですから。
日本人達はこんな酷いことをやったんだ
って大きな顔して言っても、それがどうしたの?
位にしか思えない日本人は多いかも知れませんね。
僕はそう思いますが。。。
日本人である以上は、中国人とか大虐殺を行った
民族として、ある意味自覚を持たなければならない
と自分では思ってますが。。。

第62話 お盆と終戦その2 kon
確かにそうですね。実は自分もちょうどそんなことを考えていたのです。
お盆と終戦記念日の一致というのは本当に奇妙な偶然ですね。
靖国や戦没者の慰霊を行い、実家で先祖の霊をお迎えする。一見すると一つの連続した
行事のように思えますが、よく考えてみるとこれらは全くの別々の行事なんですよね。
これは全くの根拠の無い”妄想”ですが、なぜ日本は8月まで戦い続けたのか?
そしてなぜ8月に戦いを止めたのか? (原爆投下やソ連参戦という直接の原因もありますが)
ひょっとしたら日本人の心の奥底に何か特別な感情があったのかもしれないと
そう考えることも出来るかもしれないのですよ。(もちろん、単なる空想に過ぎない
わけですが、8月まで戦わなくとも、沖縄陥落・連合艦隊壊滅・ドイツ降伏など、それを機に
戦争が終わってもおかしくない理由や事件は多々起こっていた訳で、更に遡るなら
レイテ陥落・絶対国防圏崩壊・山本提督の戦死などといったことも含まれるでしょう。)

ですが、確かに戦争が起きたのは悲惨で悲しむべきことですが、それがその時代の
辿るべくして辿った運命ではあったのです。それにまた、当時の日本は首脳も国民も
一丸となって国のためにと戦ったという面も確かにあるのです。確かに日本が近隣諸国に
大きな被害を与えたという面もありますが、それと同時にまた、恩恵を与えた良い面も
あったと言えましょう。とはいえ、多くの人々が当時の悲惨な戦争に自覚と興味を
持ってくれるのは私としても嬉しい限りです。
第63話 お盆と終戦その3 あら不思議
同じような考えを私も持っています。
何故、日本が8月まで戦争を引きのばしたのか。
これは、偶然の一致なのか、
それとも意図的に8/15まで引きのばしたのか。
意見が分かれるところですね。

ミルク殿はどういう意見をお持ちでしょうか?

心霊とお盆と終戦は何らかの
共通点があるのではないでしょうか?
第64話 お盆と終戦その4 kon
私の意見(空想)としては故意でも偶然の一致でもなく、無意識的な潜在意識
みたいなものが作用したのかもしれないと考えています。
(その当時、「戦いを止める」など言う発言は簡単にはできない風潮や状況ができていた
ということが恐らく大きな要因でしょうが、山本長官の戦死後、後任の長官が
「既に三分の勝ち目も無い」とはっきり明言していたり、1944年の段階で連合艦隊が
実質的に壊滅していたりで、日本軍の戦争遂行能力がもはやほとんど残っていない
ことを上層部の多くはわかっていたはずです。それでも戦争を止めなかったのは
単に惰性で続けていただけなのか、止めたくても止められなかったのか、それとも・・・?)
第65話 お盆と終戦その5 管理人
8月まで無理に戦争を続けた原因に盆との絡みがあったかどうか、ですね。
日本人にとっての盆行事その他の諸文化は当時の人々にとって
今よりもずっと重い意味があったでしょうし、考えられないことではないですね。
それはkonさんがおっしゃっていられるように、意識したものではなかったかもしれません。
付け加えますと、終戦の原因を原爆投下のせいであったように言う人がいますけれども、
あの時点で既に日本の敗北は明らかであり、降伏は時間の問題だったはずです。
そこへ8月、2発の原爆が慌しく投下されました。
降伏目前の8月の状況下、「民間」への原爆投下が必要だったとはとても思えません。
つまり駄目押しであり、どさくさに紛れた人体実験と言うべきもの。

武器を持つということはそれがいつか使用されるべきものなのだという認識を持って、
各国が武器を持ち合うという均衡ではなく、武器の削減に向けて進まなければいけませんね。


第66話 小さい頃に 茄呑
「そういえば」と思い、書いてみることにしました。

私が、小さい頃にはもう、おばあちゃんや、おじいちゃんが、亡くなっているんですよ。
そして今でもある、そのタンスの上には、(前)木の人形があって、 
その横に亡くなったおばあちゃんの写真が置いてあったらしい。
その人形は、結構いっぱいあった(?)。
私は、いつもそのおばあちゃんに、可愛がられていたらしく、今でも 優しくしてくれた事を憶えてます。
おばあちゃんが、亡くなってから私は夜泣きがひどくて、両親はすごく困っていたそうです。
母が、理由を探していた時に思い出したそうです。
それは、いつも人形が、(前に向いていた)私の方に向いているというのです。
そのことを、母の姉(Kおばさん)に相談すると
『人形と、写真を捨てた方がいい』と言われその通りにすると、
それ以来私は、夜泣きをしなくなったそうです。

と言うより、Kおばさんはいったい何者なのでしょうか?
(普通の、悩みもすぐに解決してくれるとか)
第67話  闇猫
おかしな事があったんです!

今日は仕事が休みだったのですが、いつもの時間に目覚めてしまい、
それからまたウトウトと眠りについていました。
しばらくすると、眠りが浅くなり外の雑音や、日の光が感じられるようになりました。
その時…なにやら耳がジンジンし始め、
まるで耳に指を押し込まれ、掻き回されているような感覚がしたのです。
当然その音はうるさく、眠りの妨げ(笑)になります。
私は「うるせぇなぁ…」と寝返りをうったのですが、
今度は反対の耳にも同じ事が起こったのです。
「耳がしびれたんだ…」と思っていたのですが、
あきらかに「指」の感触が……

気にせずそのまま寝ちゃいましたけど(笑)
もし幽霊さんだとしたら、あまりに鈍感な私にジダンダ踏んでいた事でしょう……(^^)
第68話 地面に手が・・・ なるまみ
ある先生から聞いたはなしです。
その先生は四人で登山していて
夜もふけてきたので、近くの山小屋に泊まることにしました。
しばらくして、四人のうちの1人が、森の中を散歩にいってかえってきて言ったそうです。
「近くにお墓があったからきも試ししようか」
ということできもだめしをすることにしたそうです。

ルールは一人一人お墓の前にろうそくをおいて帰ってくるというルールにしたそうです。
そして一人目がいきました。
二人目・・・三人目・・・四人目
がいきました。
四人目の帰りが遅いのでみんな心配していました。
すると、四人目の人が青ざめた顔で走って帰ってきて
そのまま小屋にはいって布団にもぐりこみました。
みんなはびっくりして、事情を聞こうとしました。
しかし、四人目の人はしゃべれる状態ではなく少し待ってみたそうです。

二時間ぐらい待ってみたところやっと口を開きました。
「お墓の横に・・・おばあさんが・・・立っているのに地面に手がついていたんだよぉっ・・・」
そして三人も青ざめました。
その夜はみんなかたまってねむりについたそうです。
第69話 予知夢について思い出したこと ともあき (16〜48話、16〜49話参照) 
去年に感じた予知(デジャヴ)と現実が重なり合った時のことです。
これは日常生活の会話とかではなく、ニュースと電話での会話が混ざり合ったものでした。
去年の6月13日に韓国で起きた在韓米軍が女子中学生を轢いてしまった事件 http://japanese.joins.com/ui/pages/sofa.htm
で12月14日に大規模な追悼式とデモが行われたと記事には書いてあるはずです。

私が夢で見たのはそのデモのニュース映像とそのことを電話で彼女に話してる場面でした。
「あれ?見たことある映像と原稿内容だな?」と感じ、
去年に起きた事件から1年経ったから、また映像流してるのかな?
と思い、すぐにネットでヤフーのトピックスを見たら、それは今日の出来事でした。

「おかしい?でもこの事件のことお前に話したよな?」と彼女に聞くと、そんなの聞いたことが無い。と…。

確かに自分の部屋で、テレビでニュースを見てそのことを彼女に話していた記憶があるのです。
夢でみたのかなんだったのかもわかりません。脳に刷り込まれている感じです。
ニュースキャスターの男性が次に言う原稿内容もわかるぐらいに。

不思議でたまりませんでした。
やはりこの「見たことがある」記憶にも会話が含まれていました。



第70話 死んだ人が帰ってきた話 キミ 
私のおばあちゃんが生きていた頃に聞いた話です。
おばあちゃんの生まれは瀬戸内海の島の漁村でした。
島には祠があって嵐の海で遭難して亡くなった島民のかたがたをまつってあったそうです。
島の人たちは祠をきれいにしてそれはそれは大切にしていました。
ある日嵐が来て漁に出た若者たちの乗った船が戻ってきません。
若者の奥さんがほこらに祈りをささげていたら霊がとりついたそうです。

「おらはだれそれでもう死んだけれど、だれそれとだれそれだけは何月何日に戻ってくる」

と言ったそうです。
そして本当に何月何日という日に言ったとおりの人だけが帰ってきたそうです。