上品と下品         身留苦




人生には、選択できない状況でたくさんの出会いがありますよね。
誰とでも仲良くしたいと多くの人が思っているはずなのに、
万人と仲良くすることは不可能に近いです。

色々な考え方の違いによって、今もどこかの国家や個人レベルで意見の衝突や摩擦が起こっています。
またトラウマに由来するような、相手にまったく責任のない好悪(こうお)の感情というのもありますから
話がややこしくなります。
そういえば日本人には恥の思想がありました。
ました、と書くのは、近年失われているように思うからです。
ただそれを言う時は人にうしろゆびをさされるからとか人に笑われるといったような、
人を基準としたものが多いように思います。
私的には人の目などはどうでもいい。
自分を基準にして、自分に恥じるところがあるかどうか、ですね。
自分の心にある憎しみや怨みとかいったものに対して、
向き合えるか、目をそむけるかで、人との関係や人生のありようが全く変わるように思います。

私は仕事上、底辺と言われる人たちや雲の上のような境遇の人たちともたまに接触があります。
それにより人間の品性は、お金のあるなしでは決まらないんだと思うようになりました。
品性は言葉にもあらわれます。
これはざあます弁を使ったり、なんにでも「お」をつければ上品ということではありません。
人を呪うような言葉や汚い言葉を吐き散らしたり恫喝したりなどの方法で、
他人に恐怖心を与えて世渡りをしてきた方は失礼ながら、下品だと思います。
下品はまた、仏教用語でいうところの「げぼん」ですね。
恐怖政治の独裁政権は長続きしないというデータがありますが、
恐怖に陥れることによって人を支配したつもりでも心までは支配できません。
そういう人は「本当はみんなあなたが大嫌いなんだよ」と思われていることを知るべきですね。

人を冷酷に支配する冬の人生よりは、
人に優しく暖かくある春の人生でありたいですね。