家系    身留苦



私の父方も母方も、ともに食通の家系だ。
矢鱈と食べることには拘る人たち。
そんな家系が続けばどうなるか。
遺伝子の性質が強調されたモノが生まれることがある。
人によっては化け物とも言う。

小さい頃から料理に僅かな焦げが入っていただけでも「少し焦げが入っている」と煩かった。
養殖魚と天然魚の味を見分けるため、親の魚屋選びの基準に使われていた。
コメの味についても同様。
混ぜ物がわかるので、私の味覚で確認した母に責められ、
米屋が混ぜ物を白状していた記憶がある。
この手のエピソードは枚挙にいとまがない程なのであとは割愛する。

そしてとうとうその日がやって来た。

私たち一家はフランスの有名店で修業したシェフのいるレストランで食事をとっていた。
料理はすべて満足の行く極上のもので、皆上機嫌。
私は感極まって母の肩を叩いた。「お母さん、これおいしいっ」
そのフォアグラのテリーヌは絶品であった。
しかしそれはまだ「始まり」に過ぎなかった。

料理は次々に運ばれてくる。

すると私の舌に、微妙な変化が起こってきたのだ。
徐々に、舌の上に「何か」がせり出し、建ち始めた。
「何か」は、一品ごとの、縦、横、高さ、といった奥行きのある味覚によって積み上げられていく。
そして、デザート前の、最後の一品を口にした時、
突如として、舌の上にそそり立つ塔が現れたのだった。

えもいわれぬ至福の境地が訪れた瞬間だった。



しかし、人は信じまい。
家族にそれとなく問うても相手にされなかった。
以後私は誰にもそれを言うことはなかった。

ある日食通雑誌「四季の味」を読んでいる時、
「舌に塔の建つ人間」がごく限られた数、存在するのだと書いてある記述を目にする。

私のあの感覚は幻ではなかった。
私には同類がいるのである。
そしてあのコース料理は、同類が、
舌に塔を建てるべく計算し尽くして作り上げたものだということを理解した。

私はある意味、食通の家系が生み出した化け物と言えるだろう。

では、別の化け物の話を。


2014年記
このコラムに出てくるシェフ*氏は年月を経て、現在は日本のフランス料理界の重鎮となっている。
もちろん名店を構えるオーナーシェフとして。
私が彼の料理に出会ったのは、彼の修行中のほんの一時期だったと知ったのは最近のことだ。
フランスと日本国内で、数多の有名店を彼は渡り歩いていた。
彼ほどの腕であれぱ、それは武者修行であり、また道場破りでもあったろう。
食後の挨拶のためテーブルに来た時の彼の顔を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。

フランス料理にコースを導入した伝説のシェフ、オーギュスト・エスコフィエは膨大な頁数のレシピ本を残したが、その分量表示はかなりおおまかである。
これを読んでいると、「あとは自分の舌で考えなさい」というエスコフィエの声が聞こえてくるような気がする。
*氏の研鑽の道のりを思う。